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東京スカイツリー®周辺観光スポット パワースポット 回向院
回向院(えこういん)
正式名称「諸宗山 無縁寺 回向院」は日本一の無縁寺として、350年前の明暦3年(1657年)に開かれた阿弥陀如来像をご本尊とする浄土宗の寺院です。
この年、江戸で「振袖火事」で知られる明暦の大火により10万8千人の命が奪われました。その人々のほとんどは、身元や身寄りが不明だったことから、その亡骸を当時の将軍徳川家綱は「万人塚」を設け、葬ったのが無縁寺としての始まりです。後の安静大地震を始め、水死者や刑死者等の横死者の無縁仏も埋葬されています。
当時の江戸庶民には、観音菩薩や弁財天などが境内に安置されていたことで尊崇される寺院となりました。江戸後期、天明元年(1781年)以降は境内で勧進相撲の興行もあり、現代の大相撲の起源となる「回向院相撲」が76年間続きました。そのような大相撲に大きく関わる歴史から、日本相撲協会で物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」も建設されました。現在では、新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、相撲との繋がりを示す象徴となっています。
また、水子供養の発祥ともされています。寛政5年(1793年)に老中松平定信によって、矩形の板石の塔の正面に、端正なお顔の地蔵菩薩坐像が浮き彫りにされて水小塚として造立されました。
このように回向院は庶民に親しまれる寺院として繁栄してきました。「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」という理念の下、ペットの墓や動物供養塔等も多数あります。
- ・猫塚
- 文化13年(1816年)猫の報恩伝説
- ・唐犬八之塚
- 慶応2年(1866年)
- ・オットセイ供養塔
- 大正15年
- ・犬猫供養塔
- 義太夫協会
- ・小鳥供養塔
- 飼鳥獣商協同組合
- ・犬猫供養塔
- 邦楽器商組合
庶民に親しまれている回向院は、度重なる大火や大震災・第二次大戦化の大空襲など、幾度かの存亡の危機の立たされることもありました。その時々の歴代の住職は、庶民の浄信に支えられて一大危機を乗り切ることが出来、現在もパワースポットとして庶民に親しまれる寺院として存続しています。
パワースポット
■鼠小僧・次郎吉のお墓
天下の大泥棒で知られる鼠小僧・次郎吉は、長い間捕まらなかったことから、その強運をあやかろうとする人々のパワースポットになっています。鼠小僧・次郎吉のお墓を削って持ちかえることで、「強運のご利益がある」「金運が上がる」と言われています。また、石をお財布に入れてお守りにして、「賭け事に勝つ」とも言われています。そして近年では、受験生の間で「するりと(大名屋敷→志望校)に入る」とされて、合格祈願でも人気のスポットになっています。また、宝くじに御利益があるパワースポットとしても有名です。削る人が後を絶たないことから、「お前立ち」と言われる削る為の墓石や削る為の石が用意されていて、誰でも自由に削れることが出来ます。
■塩地蔵
右手に錫杖、左手に宝珠を持たれている地蔵菩薩は、参詣者が祈願成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれて親しまれてきました。宝暦7年(1751年)に建設されたものとされており、古くから庶民に親しまれてきています。
■一言観音像
(元禄16年1703)10月に回向院四世観誉上人の夢枕にこの観音様が御立ちになり、他所へ遷すように告げられたため、観誉上人はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。
■馬頭観世音菩薩像
将軍家綱公の愛馬が死亡しその亡骸を葬ることになりました。その供養をする為、馬頭観世音菩薩像を安置しました。享保年中(1716〜35)の頃から「江戸三十三観音」に数えられており、「江戸砂子拾遺」によると、回向院はその二十六番札所と記されています。馬頭観世音菩薩に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからないといわれ、諸病平癒のご利益がある観音様として、人々の厚い信仰を集めました。幾多の災難にあい当時のものは焼失してしまいましたが、現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所として多くの巡拝者で賑わっています。
■千体地蔵尊
ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されました。由縁は「備中千体阿弥陀如来像」です。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。