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東京スカイツリー®周辺観光スポット パワースポット 押上天祖神社
押上天祖神社(おしあげてんそじんじゃ)
東京スカイツリーのお膝下にある押上天祖神社は、「おしなり地区」に住む地元の人たちからの厚い信仰が寄せられている神社です。境内には、本殿の他に神輿庫、戦没者慰霊碑などが建ち、摂社の三峰神社もあります。三峰神社は、秩父神社、宝登山神社と並ぶ埼玉県秩父三社の一つで、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が御祭神として祀られています。摂社とは、本社と末社の間に位し、本社の祭神にかかわりをもつ神などを祭った神社のことを言うそうです。押上天祖神社の敷地内からは、東京スカイツリーがキレイに見えることもあり、スカイツリー見学の際に気軽に足を伸ばせるパワースポットとして、ますます人気を呼びそうです。「天祖」とは、天皇の祖先のことで、一般的には天照大神(あまてらすおおみかみ)を指すようです。
押上天祖神社の祭神は「天照大神(あまてらすおみかみ)」と「八幡大神(はちまんおおかみ)」、「春日大紳(かすがおおかみ)」で、延元年間(1336年-1339年)より祀られていたと言われています。延元は建武の次の時代で、今から600年あまりの昔です。ちょうど南朝の忠臣楠正成公が湊川の合戦で戦死し、後醍醐天皇が吉野に行かれた頃でした。現在の東京の下町は、当時はほとんどが海。海に島や浮洲が点在していて、押上のあたりも「柳島」という島だったようです。この辺りは、早い時代から陸となり人が住んでいたと考えらえています。
押上天祖神社は、花園天皇時代には神明社と呼ばれていましたが、天皇家の祖先とされていた天照大神が御祭神であることから、天祖神社と呼ばれるようになりました。「押上」の地名は、現在の京成橋あたりの所まであった北十間川に、常に潮が押し寄せ押し上げていたことから、「押上」と呼ばれるようになったと言われています。また、一説によれば、現在の京成橋付近で、大雨による川の増水で土手に押し上げられた御神体を、その辺りの農民たちが安置し祀ったのが由来だとも言われています。
押上天祖神社は、江戸時代後半には朝日神明宮と呼ばれ、徳正寺というお寺が管理していました。明治時代の神仏分離(神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること) で、牛嶋神社の末社に組みこまれたそうです。大正時代までは平川橋4丁目にありましたが、大正10年の大祭の後、12年の関東大震災で社殿を焼失してしまいました。
昭和3年区画整理で現在の押上の地へ移り、社殿も再建されましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲で、またしても消失しました。昭和27年の大祭の際に再び社殿を新築し、昭和32年の大祭には鳥居が再建され、神社としての形態がようやく整ったそうです。深川や鳥越の大神輿と並んで「江戸三大神輿」の一つに数えられるほど、江戸っ子に大人気だった大神輿は、明治21年5月5日に新調されたものです。
関東大震災や戦災などの度重なる焼失を免れ、奇跡的にも当時のままの荘厳華麗な姿が残されていることからも「開運」や「強運」のパワースポットとしても人気を呼んでいます。大神輿は現在、老朽化が激しいことから、一般公開はされていません。9月16日の烈士祭日の期間だけ、飾りつけをしたお神輿を見ることができるようになっています。狛犬は、昭和32年の創建600年記念の折に奉納されたものです。
押上天祖神社は、花園天皇時代には神明社と呼ばれていましたが、天皇家の祖先とされていた天照大神が御祭神であることから、天祖神社と呼ばれるようになりました。「押上」の地名は、現在の京成橋あたりの所まであった北十間川に、常に潮が押し寄せ押し上げていたことから、「押上」と呼ばれるようになったと言われています。また、一説によれば、現在の京成橋付近で、大雨による川の増水で土手に押し上げられた御神体を、その辺りの農民たちが安置し祀ったのが由来だとも言われています。
押上天祖神社は、江戸時代後半には朝日神明宮と呼ばれ、徳正寺というお寺が管理していました。明治時代の神仏分離(神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること) で、牛嶋神社の末社に組みこまれたそうです。大正時代までは平川橋4丁目にありましたが、大正10年の大祭の後、12年の関東大震災で社殿を焼失してしまいました。
昭和3年区画整理で現在の押上の地へ移り、社殿も再建されましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲で、またしても消失しました。昭和27年の大祭の際に再び社殿を新築し、昭和32年の大祭には鳥居が再建され、神社としての形態がようやく整ったそうです。深川や鳥越の大神輿と並んで「江戸三大神輿」の一つに数えられるほど、江戸っ子に大人気だった大神輿は、明治21年5月5日に新調されたものです。
関東大震災や戦災などの度重なる焼失を免れ、奇跡的にも当時のままの荘厳華麗な姿が残されていることからも「開運」や「強運」のパワースポットとしても人気を呼んでいます。大神輿は現在、老朽化が激しいことから、一般公開はされていません。9月16日の烈士祭日の期間だけ、飾りつけをしたお神輿を見ることができるようになっています。狛犬は、昭和32年の創建600年記念の折に奉納されたものです。
パワースポット
押上天祖神社の祭神は「天照大神(あまてらすおみかみ)」と「八幡大神(はちまんおおかみ)」、「春日大紳(かすがおおかみ)」という素晴らしい神様が祀られていることから、パワースポットとして人気を呼んでいます。また、大震災や戦災などの度重なる消失を乗り越え、何度も再生してきたことも、押上天祖神社がパワースポットとしての存在を誇るゆえんです。ご利益は、国土安穏、富貴繁栄、出世、福徳、開運、勝運といわれています。
御祭神の天照大神は、神々の中でも最高位の神であり、国を守る総氏神として、国土安穏や富貴繁栄の神様と言われています。天皇家の御祖神でもあります。八幡大神は武士からの信仰が厚い武勇の神様として知られています。勝負事においての勝運のご利益や、厄除け開運についても有名です。春日大神は弓術の神で知られ、武勇の神、軍神、出世の神様とも言われています。
御祭神の天照大神は、神々の中でも最高位の神であり、国を守る総氏神として、国土安穏や富貴繁栄の神様と言われています。天皇家の御祖神でもあります。八幡大神は武士からの信仰が厚い武勇の神様として知られています。勝負事においての勝運のご利益や、厄除け開運についても有名です。春日大神は弓術の神で知られ、武勇の神、軍神、出世の神様とも言われています。