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東京スカイツリー®周辺観光スポット パワースポット 江東天祖神社
江東天祖神社(こうとうてんそじんじゃ)
最近、東京スカイツリーオープンに伴い、この周辺のパワースポットとしては押上天祖神社が有名になっていますが、こちらは江東区・柳島にある天祖神社です。江東天祖神社と呼ばれ、疫病除けとして知られています。江東天祖神社の創建は推古天皇の時代にさかのぼり、御祭神は天照皇大御神です。
江東天祖神社は応永2年(1395)に僧良傳が、龍眼寺と共に創建したと伝えられます。
柳島(現在の江東区亀戸及び墨田区錦糸・泰平・横川・業平のそれぞれ一部)の総鎮守であり、往古は砂原神明宮、柳島総鎮守神明宮と称しました。
江東天祖神社は応永2年(1395)に僧良傳が、龍眼寺と共に創建したと伝えられます。
柳島(現在の江東区亀戸及び墨田区錦糸・泰平・横川・業平のそれぞれ一部)の総鎮守であり、往古は砂原神明宮、柳島総鎮守神明宮と称しました。
社伝によると、聖徳太子作の御神像の神体がまつられていたと言われています。境内には人望福徳も祀られており、亀戸七福神の福禄寿としても有名です。
龍眼寺の縁起によれば、比叡山での修行を終えた良博大和尚が郷里に帰る途中、柳島で一夜を過ごした時に夢に観世音菩薩が現れ、「この堂の下に、汝の守るべき御本尊と村の守護神となる御神体がある」とお告げがありました。翌朝、夢告通りに観世音菩薩像と御神体を授かった良博大和尚が一心に祈願すると村を襲っていた流行病が治まりました。そこで、一宇を建立して観世音菩薩を奉安し、柳源寺と称するとともに、御神体を祀って神明宮としたと言われています。
そして天正年間(1573〜1593)疫病が大流行した際、織田信長が使いを参向させ、神前に奉納したところたちまち疫病が治まりました。以来、病気を治す神社として有名になりました。そして現在も毎年9月16日の祭事として、子供による流鏑馬式(※1)が行われています。ただし実際には馬場が確保できないため歩射を行っています。現在の社殿は昭和4年(1929)の建造。日本最初の防災建築の社殿で、外部は鉄筋コンクリート、内部は総檜造り、俗に金庫造りと言われています。また境内社の太郎稲荷神社は、筑後立花家下屋敷にあった、立花家の守護神を江戸時代に移したもので、樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる神社として有名です。なお新編武蔵風土記稿(※2)による江東天祖神社の由緒には『(柳島村)神明社、村の鎮守なり。龍眼寺持。これ龍眼寺開山良傳の告有て得る所にして、聖徳太子の作と云。能く疫病を除く験あるをもて疫病除神明と云。』と記されています。
※1流鏑馬式
流鏑馬式は女児を交えた子供歩射で、萌黄直垂に、烏帽子を被り、中啓(扇)を持った服装で的を射る行事です。子供達ののびやかな成長を祈り行われています。
※2新編武蔵風土記稿
1810年に林述斎が建議し、晶平坂学問所の地理局で編纂されたのち、1830年に幕府に献上された文書です。
そして天正年間(1573〜1593)疫病が大流行した際、織田信長が使いを参向させ、神前に奉納したところたちまち疫病が治まりました。以来、病気を治す神社として有名になりました。そして現在も毎年9月16日の祭事として、子供による流鏑馬式(※1)が行われています。ただし実際には馬場が確保できないため歩射を行っています。現在の社殿は昭和4年(1929)の建造。日本最初の防災建築の社殿で、外部は鉄筋コンクリート、内部は総檜造り、俗に金庫造りと言われています。また境内社の太郎稲荷神社は、筑後立花家下屋敷にあった、立花家の守護神を江戸時代に移したもので、樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる神社として有名です。なお新編武蔵風土記稿(※2)による江東天祖神社の由緒には『(柳島村)神明社、村の鎮守なり。龍眼寺持。これ龍眼寺開山良傳の告有て得る所にして、聖徳太子の作と云。能く疫病を除く験あるをもて疫病除神明と云。』と記されています。
※1流鏑馬式
流鏑馬式は女児を交えた子供歩射で、萌黄直垂に、烏帽子を被り、中啓(扇)を持った服装で的を射る行事です。子供達ののびやかな成長を祈り行われています。
※2新編武蔵風土記稿
1810年に林述斎が建議し、晶平坂学問所の地理局で編纂されたのち、1830年に幕府に献上された文書です。
パワースポット
■境内
「御神木くす木」など大きな木々に囲まれ、本殿があります。本殿の手前右奥に「奉安殿」、「太郎稲荷」、その奥に流鏑馬式に使われる的があります。
■境内社:太郎稲荷神社
境内に有る稲荷神社で樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる神社です。主人公が太郎稲荷神社に商売繁盛の願掛けに行く場面があります。
宇迦之御魂大神(伏見五祭神)が祀られています。和銅4年に伏見稲荷の大神をいただいて徳川時代、筑後柳川11万9600石の大名、立花家下屋敷にあった代々の守護神を、江戸末期天祖神社境内に移しました。
宇迦之御魂大神(伏見五祭神)が祀られています。和銅4年に伏見稲荷の大神をいただいて徳川時代、筑後柳川11万9600石の大名、立花家下屋敷にあった代々の守護神を、江戸末期天祖神社境内に移しました。
■宇迦之御魂命
伏見稲荷大神の御分霊において、太郎稲荷様は技芸上達、商売繁盛の神として崇拝されていました。そのため歌舞伎役者や寄席芸人等水商売の人々の参拝が多く、天祖神社境内の守 護神福禄寿(七福遊び)として親しまれています。特に七草の日に参拝者が多かったですが、最近は信仰に関係なく一年を通して参拝者が多くなりました。
■四神の彫り物
四神とは、中国漢の時代の神獣で、四方から降りかかる悪災を鎮め四方を守護すると伝えられています。
東=青龍 天から恵みの雨を降らせ、豊作をもたらし家運を隆盛させる神
西=白虎 女性に子宝と安産を授け夫婦円満に導くとされている
南=朱雀 翼で災厄を祓い、福を招く神
北=玄武 長寿と富みを招く亀と、災厄をよせつけない蛇の霊力を合わせ持ち長寿と繁栄をもたらす神
わが国においても、「高松塚古墳」奥壁や「亀虎(キトラ)古墳」の内壁に「玄武」などの図柄が描かれていたのが話題になりました。やはり、四神に護らせたいという昔の人々の気持ちのあらわれではないかと思います。
東=青龍 天から恵みの雨を降らせ、豊作をもたらし家運を隆盛させる神
西=白虎 女性に子宝と安産を授け夫婦円満に導くとされている
南=朱雀 翼で災厄を祓い、福を招く神
北=玄武 長寿と富みを招く亀と、災厄をよせつけない蛇の霊力を合わせ持ち長寿と繁栄をもたらす神
わが国においても、「高松塚古墳」奥壁や「亀虎(キトラ)古墳」の内壁に「玄武」などの図柄が描かれていたのが話題になりました。やはり、四神に護らせたいという昔の人々の気持ちのあらわれではないかと思います。